モンテッソーリ教育の環境では、2歳半から6歳までの異年齢の子どもが生活し、互いに協力し、刺激しあい、協働して学ぶ。
モンテッソーリクラス再開の週。
教師は「子どもたちがどんな取り組みをするだろうか?」と見守っていると、彼らは自分で活動を選び、楽しそうに取り組んで、気持ちの良い集中する時間を味わい、ガーデンに出ると、夏の入り口の作物や生き物の様子を探索していた。
モンテッソーリ教育は、同じ年齢の子どもがみんな同じことをする一斉教育とは違い、それぞれの子どもの発達段階、興味に応じた活動を自分で選び、存分に自分がしたいだけ自分の意志で取り組む。
モンテッソーリ教師は、子どもたちのガイドとして、ひとり一人の活動を援助する。例えば、裁縫の活動については、次のような過程がある。
(*スクールによって教具は異なる。)
・木の大きなビーズにひもを通す。
・小さなビーズに糸を通す。
・ビーズの指輪を作る。
・ブレスレットを作る。
・ぬい針に糸を通す。
・小さなフェルトにボタンを付ける。
・袋状にフェルトを縫う。その袋にボタンを付けて、小物入れにする。
このように易しく、短時間の活動から、段階的に長く複雑な活動に進む。
子どもは、教師が提供(やって見せること)するのを見て学ぶ。観察する力、目と手の協応(目で見て、手を動かす)の発達、集中力の持続を身に付けていく。自らの力で自分のペースで一つ一つステップを上がっていくことで、子どもは「自分でできた」という自信と「一人でしてみたい」という自立心が養られ、技能を磨いていく。
ボタンをフェルトに付ける活動を終えた一人の子どもが、「自分の服にボタンを付けていい?」と聞いてきた。それは、想定していなくて、わずかに「親から苦情」が頭によぎったが、子どもの”発想”と”やる気”に「着替えてから、付けるといいね。」と伝えた。それを聞いた彼女はスイッチが入ったかのように、自分でボタンを選び、自分のワンピースにいくつかのボタンを縫って満足そう。その熱心さに、周りも刺激を受けたようでした。
モンテッソーリ教育の環境には、自由(自分で選んで、自分で存分に取り組む)があり、制限がありますが、私が子どもに伝える制限は、誰かや物を傷つけたりすることがないこと、前段階での基本技能が身に付けていなければならない、その提供を観ていられる準備ができていなければならない。
縫い針を使う活動では、縫い針を使うことができる専用のテーブルがあり、針やはさみなど危険物の収納方法場所が決まっています。一連の工程を理解し、ルールが守れなければ、その活動はできません。針に自分で糸を通すことができなければ、縫う仕事はできない。前段階で十分な活動で自立して取り組めるように、援助します。縫う仕事には、道具を用意し、適切な場所を選び、一つひとつの道具の使い方を身に付け、教師が見せる長い工程を観て学ぶ力が備わっている必要があります。
自分のワンピースにボタンを付けていた子は、長いひとりの作業続ける間、友達が見に来ても、集中して楽しそうに続けました。何か自分の仕事に自信と誇りをもって作業をする服飾家のようです。その仕事ぶりを見ている子どもの眼差しも何かを吸収しています。やがて、自分のデザインしたワンピースを完成させた子は、満足そうに持ち上げ、広げて見せます。
それを見ていた子は、自分も「ボタンを服に付けてみたい。」と言ってきた。その子は長い工程の作業をすることはあまり得意でなかったので、「どうかな?」と私は思った。まず、私は針に糸を通す活動を見せました。彼女はこれまで見せたことがない眼差しで見ています。「やってみる?」彼女は迷いなく挑みますが、なかなか糸が針穴を通りません。それでもあきらめません。私は離れて彼女の動きを観察し、糸先をつぶして平らにすることが不十分である。と考え、湿らせて指で平らにするとことのみ、もう一度見せ、離れました。しばくして、「できた!」と声が聞こえました。さらに次の活動(ボタンをフェルトに付け、最後に裏で留めること)をしてみたいというので、見せました。彼女は、これまでに見せたことのない忍耐強さで、取り組みました。「できたね。それでは、着替えて服に付けてみるかい?」彼女はとうとう、初めて針に糸を通すことから自分の服にいくつかのボタンを付けることまでをやり通しました。
子どもはひとり一人得意不得意があり、興味が異なり、素敵なものに共感する。集中力は自分の意志によって発達し、忍耐強さは情熱で鍛えられる。
ひとりの子が自分の意志で活動を始め、自分の力で、何かを成し遂げたとき、私はモンテッソーリ教師としての喜びを感じます。無限の可能性をもつ人たちとともに生活することが楽しいです。
#モンテッソーリ #AMI #国際モンテッソーリ #途中入園 #大阪 #バイリンガル #montessori
댓글